JR東日本の豪華客車「夢空間」
先日、KATOからかつてJR東日本の客車として活躍していた「夢空間」のHOゲージモデルの製品化が発表されました。
「夢空間」は1991年1月に「北斗星トマムスキー号」の臨時列車としてデビューしたJR東日本が手掛けた豪華客車で、その後も団体貸し切り列車、さらには「夢空間北斗星」として臨時列車で活躍し、2008年3月まで活躍していた客車です。とはいえ、HOゲージモデルはサイズも大きく、ご自宅で楽しむのにはハードルが高いですよね。
そんな中、今度はTOMIXから「夢空間」のNゲージモデルの再生産が発表されました。
TOMIXでは、約5年振りの再生産となるので前回、手に入れることができなかった方には待ちに待った再生産ではないでしょうか?
HOゲージモデル、そして一般的なNゲージモデルでも生産が決定するなど現在、再注目されている「夢空間」ですが、運行を終了して既に15年も経っていますので知らない方や、あまりご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんね。
そこで今回は客車「夢空間」についてご紹介したいと思います。
「北斗星」の成功と欧州の「オリエント急行」に触発されて生まれた「夢空間」
さて、この「夢空間」の誕生に、大きな影響を与えた2つの車両があるのをご存知でしょうか?
それは寝台特急「北斗星」と、長距離夜行列車「オリエント急行」です。
「北斗星」と聞いて「懐かしい」という方もいらっしゃるのではないでしょうか?
1988年3月、青函トンネル開通に合わせて登場したのが寝台特急「北斗星」。個室の寝台や食堂車など当時、最高の設備を整えた東京と北海道を結ぶ寝台特急は、あっという間に人気の客車となります。
そんな大成功をおさめた「北斗星」ですが、JR東日本からすると国鉄から民営化となってわずか1年半という期間で「北斗星」を準備することとなり、従来車両を改造し完成させた車両だったことから「次は一から新しい車両を作ってみたい」という思いがあったんですね。
そんな思いを抱いている中、ヨーロッパを走行した長距離夜行列車「オリエント急行」が日本で運行されることとなります。
「ヨーロッパを走る豪華客車が何故、日本に?」と思われる方も多いと思いますが、実は民放テレビ局から、オリエント急行のパリ発、東京行きの運行という企画が持ち込まれ、JR東日本は「これは面白い!」とその企画に賛同。JR西日本など他のグループ会社をまきこんで、「オリエント・エクスプレス '88」と題して日本国内で1988年10月から約3か月の間、運行がされたのです。
当時は様々なルートで運行し、メディアにも多く取り上げられてたので、ご記憶にある方もいらっしゃるかもしれませんね。
「オリエント急行」の運行に携わることで、海外の豪華な内装の客車に高揚する乗客の姿を目の当たりにしたJR東日本は「次世代の寝台客車としての方向性を探るには良いタイミングではないか?」と考え、豪華客車の製造に着手します。
そう、あの寝台特急「北斗星」の時に実現できなかった「一から新しい車両を作る」という思いがここにつながり「夢空間」の製造に踏み切るんですね。
時はバブル景気。この好景気によって、人々がさらなる娯楽を求める流れにも乗ることで、新たな車両の製造にとっては、絶好のタイミングとなった訳です。
各車両、異なる会社が手掛けた「個性あふれる車両」
結果としてこの「夢空間」は、JRが民営化された後に唯一、新規製造された24系客車となり、このように3両の車両が製造されました。
一般的であれば、全車両のカラーは統一されますが、ご覧の通り。色もですが、デザインも全く異なる車両になっています。これがまさに「夢空間」の面白いところで「ひとつ、ひとつの車両が個性にあふれている」というところ。
このように1車両ずつデザインが異なったのには、製造段階にある仕掛けがありました。それは、それぞれ異なる会社が車両の製造を手掛けたからなんです。
ひとつめは、列車の最後尾に連結されるメタリックグリーンに金色のラインが特徴的な食堂車「ダイニングカー」。大きな窓枠での展望室が印象的な「オシ25 901」です。
こちらの車両は、東急車輛製造が製造を手掛け、内装は東急百貨店が担当した、いわば「オール東急」で製造された車両です。
続いてダークレッドの車体に、窓周りをベージュに色分けしたツートンカラーと、金のピンストライプがあしらわれた「ラウンジカー」。室内にはバーラウンジや自動演奏装置付きピアノ備えていたという「オハフ25 901」です。
こちらの車両は、富士重工業が製造を手掛け、内装は横浜の呉服店を起源とする老舗百貨店の松屋が担当しました。
そして、上半分をブルー、下半分と窓周りをシルバーで、さらに金色のストライプが入った「デラックススリーパー」。A寝台車で2人用個室「エクセレントスイート」を1室、「スーペリアツイン」を2室を設けた車両には、全室にバスルームも設置されていたまさに「デラックス」な「オロネ25 901」です。
こちらの車両は日本車輌製造が製造を手掛け、内装は大阪・難波に本社を置く老舗百貨店の髙島屋が担当しました。
車両の製造もですが、内装についても異なる大手百貨店に依頼する訳ですから、これはもう今までにない車両ができて当然ですよね。
さて、豪華な今までにない車両が完成した後は…
「走らせるだけ」
なのですが…実は多くの人たちの前で披露されたのは、線路の上ではなく、なんと意外な場所だったのです。
「夢空間」のデビューは線路上ではなく「博覧会」
さて「夢空間」のデビューは1989年。
「おや?最初の紹介では1991年1月に「北斗星トマムスキー号」の臨時列車としてデビューしたとありましたけど…では2年前は、どこでデビューしたんですか?」
実は「夢空間」のデビューは線路上ではなく、なんと「博覧会」だったんです。
この80年代後半から90年代前半にかけて、日本では地方での博覧会の開催がブームとなり、特にこの1989年に至っては、さきほどお話したバブル景気もですが、ちょうど市政100周年など節目を迎えるなどのタイミングも相まって、結果として毎月どこかで博覧会が開催されていると言っても過言ではないほど、全国各地で博覧会が開催されていたんですね。
さらに当時は、最新鋭の技術などが発表されるのも、こうした博覧会という場所であることも少なくありませんでした。
そんな中、1989年に横浜で開催されたのが「横浜博覧会」。ここでJR東日本が桜木町駅の駅前広場に設けた自社の展示ブース「夢空間'89」で披露したのが先にご紹介した3つの車両。お分かりですね?車両の愛称「夢空間」は、この当時の展示ブースの名前から付けられたんです。
調べてみて「面白いなぁ」と思ったのがこのイベント期間中の3両の扱いについて。
イベント期間中、この3両の列車は「車両の形をした建築物」として申請。つまり展示前には、オロネ25・オハフ25は展示場として、オシ25は飲食店として建築確認申請をしたのだとか。
実際にイベント期間中、この3両には仮設のプラットホームを設置することで、車両を見学できるようにしただけでなく、ダイニングカーはレストランとして営業されました。
なるほど。だからオシ25は飲食店として建築確認申請をしていたんですね。
列車だけど列車じゃないという、何とも不思議なデビューとなった「夢空間」ですが、そこはやはりJR東日本も実際の線路での走行を想定しており、半年間の展示の後は、人気の高い「北斗星」へ投入することを前提として走行系機器や電気回路といった基本構造は24系25形と共通化して車両設計をしていました。
その後の活躍は、先にご紹介した通り。「北斗星」への連結を中心に、団体専用列車や臨時列車にと活用されました。
次世代の客車の礎にもなった豪華客車「夢空間」
これまでにない豪華な客車の仕様も相まって、多くの旅行者、そしてファンに愛された「夢空間」。
惜しまれつつも2008年3月で営業運転を終了した訳ですが、この列車の存在が後に製造される客車に活きることになります。
例えば、すべての客室を2人用A寝台個室で構成し、ハイレベルな接客と設備を備える寝台列車として開発されたE26系客車。そうです、1999年から2016年まで上野〜札幌間で運行していた「カシオペア」です。
さらにその後は「TRAIN SUITE 四季島」と、現在の客車へとつながっていくのです。
どうしてもその個性的過ぎる車両のデザインに目を奪われがちな客車「夢空間」ですが「快適な列車での旅」を追求するという意味では、こうして後に生まれる客車の礎となっているのではないかと思います。
引退後に生まれた客車にも大きな影響を与えた「夢空間」。
Nゲージモデルであれば、1両、1両、車両のデザインが異なる部分はもちろんのこと、走行する姿も、そして停車した姿も思い思いに楽しめる車両ではないかと思います。
既に24系客車のNゲージモデルをお持ちの方には、ぜひこの「夢空間」を手に入れて、様々な角度から、客車としての違いを楽しむのもアリだと思います。
まだご予約されていない方、または今回の記事を見て気になったという方は、ぜひこの機会に手に入れて、ご自宅で楽しまれてはいかがでしょう?
今回は、再生産が発表されたJR東日本の「夢空間」についてご紹介しました。
1989年に登場した「夢空間」。それぞれ個性が際立った3両の車両で構成されており、3社の車両メーカーが製造を、3社のデパートが内装を担当。「北斗星」系統での臨時列車として活躍し、2008年3月で引退しました。
「北斗星」の成功を受け、次世代寝台特急車両の方向性を検討するためにJR東日本が1989年に製造した「夢空間」。「北斗星」系統での臨時列車として活躍し、2008年3月で引退しました。現在は食堂車とラウンジカーが埼玉県内の商業施設に、寝台車が東京都内のレストランとして保存されています。